Archivum 崩壊:スターレイル

第二位『帝弓の司命』

第二位『帝弓の司命』
監督:暁桐
脚本:雨春

命を捨てて死ぬ覚悟で戦えと言ったが、今日の戦いで形勢を変えなければならない。この後には常勝が続くと教えたい。強い意志を持って悪を一掃せよ。

今から4、5千年前、仙舟は混乱を極めた三劫時代を迎えていた。巨視的にとらえれば、各仙舟での社会秩序の崩壊は、歴史の脇役に過ぎず、時代を支配するのは生死をかけた血みどろの戦いであった。帝弓の司命もまだ帝弓の司命ではなく、血肉が流れる平凡な身体を持つ英雄であった。彼は仙舟人を率いて豊穣の民と壮麗な戦いを展開し、最後には自身を焼くことを代償に造翼者の巨樹「穹桑」を滅ぼし、仙舟同盟を救った。『帝弓の司命』は、この伝説をもとに撮った史詩幻戯である。

現在でも、『帝弓の司命』は、帝弓の司命を冒涜する幻戯であると考える人々がいる。なぜならこの作品は、体験者を帝弓の司命の目線に引き込み、帝弓の司命の立場であの叙情的な最終決定を経験し、彼が神に昇格される過程を体験するのだから、不遜と思われるのも仕方ない。

しかし、実際には、この壮大な史詩を前述した目線を通して体験することでしか、現在の仙舟が束の間の安寧を得るために、帝弓の司命と仙舟上の勇敢な人々がどれほどの血を流したかを理解することができないのである。

これらの言いがかりを差し引いても、『帝弓の司命』は依然として賛否両論がある名作である。その中で最大の議論を引き起こしているのは、雨春が脚本を書く際に、個人の好き嫌いで歴史をねじ曲げることである。これは、多くの体験者にとって受け入れられないことなのであった。

例えば、雨春は幻戯全編を通して、歳陽の首領「火皇」の存在を薄め、帝弓の司命が建木を破壊した一矢を「星神の偉力が凡人の体で早めに覚醒した」と帰結したが、これは明らかに史実に反していることである。現在、史学界では、彼の当時の矢は火皇の力を借りたものだと考えられているが、雨春は歳陽を極度に嫌っていたため、この部分のストーリーを修正したのだ。

傷は玉を覆うことができないように、賛否両論がある傑作は依然として傑作である。しかし筆者としては、幻戯の改編された部分で誤った理解をしてしまわないように、『帝弓の司命』を体験する前に、信頼できる歴史資料(例えば『帝弓足跡歌』)を読んで欲しい。