【原文】
【注釈記】
[注1] 「軒轅」は古の国の神話に出てくる名弓。ここでは帝弓の武器を指している。
[注2] この文の展開はややぎこちない。後の句の内容から、帝弓が戦場で戦いの前の演説を行い、士気を高めたと判断できる。帝弓はその日に命を落とすと分かっていたので、遺言を残したという説もある。
[注3] これは雲騎軍がよく使う掛け声「仙舟飛翔、雲騎常勝!」、「強い意志を持って悪を一掃する!」の起源とも考えられるが、後世になって加筆された可能性もある。現在の学界では意見が割れている。前後の順番は不明である。
[注4] 記録では、この戦いにおける各仙舟と穹桑の距離は、近い方から曜青、羅浮、玉殿、朱明、方壺、蒼城、虚陵となっており、虚陵と方壺の位置は後ろであることが分かる。また、他の記録によると、帝弓は仙舟曜青の船首から矢を放っていたようだ。この文は帝弓の弓矢の衝撃を受ける範囲が広く、仙舟同盟の全艦船が影響を受けていたことを示している。
[注5] 記録では、帝弓の矢が建木を破壊し、巨獣を貫き、仙舟羅浮と穹桑の接続を断ち切ったとされている。さらに虚空の奥につながる裂け目を作り、そこから膨大な虚数の力が湧き出てきたようだ。この文はまさにそのような状況を説明している。
[注6] 記録では、帝弓は戦局をひっくり返す一矢を放った後に姿を消したが、火皇は肉体の一部を残したとされている。この文は仙舟の民が両者を見つけられなかったとしているが、誤りの可能性もある。
[注7] この2文の「古錠」、「静寂」、「磁雲」、「回転」という表現は、帝弓の犠牲を悼んだ仙舟の民が、その遺品を静寂古錠に入れ、穹桑の外周軌道に向けて打ち上げ、星と共に輝けるようにしたことを説明している。現存する記録には、これに関連する記載がないので、この部分は脚色の可能性がある。また、この部分は仙舟文学史上で初めて、静寂古錠の発射儀式に関して描写されたものである。しかしながら、この風習の開始時期とこの詩の成立年代の前後関係は不明となっている。